子どもの頃は、日本の正しいお正月を過ごしていた気がする。
60年前のお正月は…
暮れには、畳を上げて外に干し、床下に虫除けだか除湿剤だかの白い粉をまく。
畳の下は新しい新聞紙と取り替え、夕方まで風に当てられた畳を元のように収める。
そうしながらも、一方では障子紙の張り替えをし、夜にはすっかり明るく清潔な部屋となる(ような気がした)。
子どもにとっては、障子をブスブス破いても良い最良の日であったし、畳を叩いてでるホコリに笑い転げる時間でもあった。
その翌日は、母が作る料理の手伝い。
ぎんなんの殻をトンカチでわったり、フライの衣付けをしたり…。
母は料理が苦手だったけれど、正月に迎える父の部下達のためにせっせと大量の料理を作った。
当時の我が家は、正月に帰省しない独身の父の部下たちにおせちをふるまい、一緒に遊んで過ごす、という親戚でもあるかのような迎え方をしていたように思う。
狭い家中に麻雀の卓が並べられ、順番を待つ人はその周りで囲碁や将棋をしている、そんな風景だった。後年、「ボーナスは全部料理に消えた」と母は言っていた。
料理の中で1番印象に残っているのは、チーズとハムのフライ。
母はこれを最高におしゃれな料理と思っていた節があり、必ず作ったし、自慢げでもあった。なんのことはない、ハム2枚の間に、スライスしたチーズを挟み衣を付けてあげる、チーズ入りハムカツ。
これをお正月用としてしか作らなかったというのが、興味深くもある。やっぱり母にとっては最も洋風、且つ、おしゃれの極みであったようだ。
元日は、お重に詰められたおせち、お雑煮、鯛の塩焼き、梅茶とお屠蘇。新しい下着と洋服を身につけ、正座した家族に父がその年最初の挨拶をする。
頭をたれて聞き入り、「今年も良い年でありますよう」という言葉を合図に、一礼しお屠蘇となる。全く格式張った家ではなかったけれど、でも、1年はそんな風に始まるのだった。
けれど、私のお正月は全然違う。
一人暮らしの母のため毎年お正月は帰省するので、自分の家族と自宅で正しいお正月を過ごしたことがない。
お客もない、母と二人の正月は、母の好きなおせちだけ作り、姉が差し入れる黒豆を食べる。
それでも母は父にならい簡単だけれど元日の朝は「今年もよろしく。よい年にしましょう」などと挨拶をする。
けれど、今度のお正月は病院のベッドの上。
私は何もする事がないのだけれど、やっぱり元日の朝の母の「お言葉」を聞くため帰省する。
【チーズ入りハムカツ】
■材料
- ハム(出来れば四角)
- スライスチーズ(カマンベールなどの方が美味しいような)
- フライの材料(小麦粉・卵・パン粉)
■作り方
- とにかくハム2枚の間にチーズを入れ、フライの衣をつける(だけ)。
※とろけるチーズやカマンベールの時は、隙間のないよう衣をしっかりつけましょう。
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